ASANO PRIDE AS A CRAFTSMAN VOL.1 : HITOSHI NAKAMURAVol.1 中村 仁

技術の(株)浅野とよばれて、今年で58年目。
その半生を知る人がいる。社歴27年目をむかえるベテランマイスター中村 仁氏。
(株)浅野の技術を語れば右に出るものはいないといっても過言ではない。
静かで穏やかな語り口とは対照的な、中村氏の熱い職人魂をご紹介しよう。

「夢」を追い求めて
自社ブランドをつくりたい
ガード*1としてバスケットコートを駆けずりまわった中学から高校生時代。当時から中村は一歩先の未来を読んで行動する青年だった。高校時代に父に勧められて(株)浅野でアルバイトをはじめたのも、将来の進路を意識していたのかもしれない。
休暇時の(株)浅野におけるアルバイト生活を終えて、卒業と同時に(株)浅野に入社。商業高校の同級生が、そろばん片手に銀行に就職するのを傍目に、中村はハンマーとのこぎりを両手にかかえて、(株)浅野の門を叩いた。世界にたった一つの試作品*2を、自らの手で作り出す喜びに魅せられた青年は、やがて技術開発部長として社の中核を担う要職につく。
中村の文系から理系への大胆な転向を紐解くには、プラモデル好きだった子供の頃にまでさかのぼらなければならない。この頃、車や戦車を組み立てた手の感触が、後に(株)浅野のアルバイトを経て蘇ったのが転向のきっかけだったと語る。
そんな中村が最初に取り組んだ仕事は、バイクに欠かせないギア系部品の試作品製作だった。通勤はもとより地元から足を伸ばして赤城山、軽井沢、上高地、果ては北海道まで友達とバイクツーリングに出掛ける氏にとって、それは願ってもない機会だった。
そしていま、中村は少年時代のように目を輝かせながら将来の夢を語った。一つは(株)浅野として自社ブランドによるデザイン化された最終商品を手掛けること。そこで培った技術力をまたお世話になっているお取引先に還元したいと言う。もう一つは「家族を連れて豪華客船で世界を一周したいんです」と語った氏のほころんだ表情に、会社とお取引先、家族への誠実な想いが伝わってくる。