ASANO PRIDE AS A CRAFTSMAN VOL.1 : HITOSHI NAKAMURAVol.1 中村 仁
技術の(株)浅野とよばれて、今年で58年目。
その半生を知る人がいる。社歴27年目をむかえるベテランマイスター中村 仁氏。
(株)浅野の技術を語れば右に出るものはいないといっても過言ではない。
静かで穏やかな語り口とは対照的な、中村氏の熱い職人魂をご紹介しよう。
「挑戦」を受けて立つ
マニュアルなんて必要ない
手作業が中心だったアルバイト時代。職人さんの手伝いをしながら、一つ一つ技を体得していった。今では信じられないが、のこぎりで鉄板を加工し、ハンマーで金型を作って押し出し、表面を平坦にするために板金処理を施していた。
そんな時代を経て、入社早々中村に大きなチャンスが廻ってきた。社内ではまだ誰も未知のマシニング加工機(NC工作機械)*3を導入して、お客様のオーダーにすぐに応える機会に巡り合ったのだ。
しかし現実は甘くなかった。当時を振り返る中村の表情が険しくなる。「会社にとって大きな設備投資となる機械の導入を、当時の私のような若造に任せることに少しの不安もなかったといえば嘘になります。実際、導入後すぐに研修で得た知識を頼りにどうにか機械を稼動させたのですが、思うような仕上がりになりません。おかげで徹夜してお客様に部品をお届けした次第です」。今となっては懐の深い会社に感謝の弁も漏れるが、当時は中村にとって必死の思いだったにちがいない。
これが一つ目の節目なら、もう一つの節目はレーザー加工機の導入だった。お客様の求める精度が、コンマ1桁からコンマ2桁に移る中で、手作業から機械化への流れは必然だったのである。こうして製造現場で時代のうねりを感じながら13年間を過ごした。いま自宅でよく見る韓流ドラマ*4がある。ストーリーに引き込まれるのは、ピンチにあっても最後は復活を遂げる姿に自分の姿を重ね合わせているのかもしれない。
その後営業に移り、5年半を過ごした。新しい場所でも前例に囚われずに、創意工夫で道を切り開いてきた。ビッグクライアントとの関係構築やクレーム対応に次々に挑戦したことが、技術開発部長兼改善プロジェクトリーダーになったいま、中村の静かな口調に溢れる自信となって表れる。