ASANO PRIDE AS A CRAFTSMAN VOL.2 : OSAMU KATOUVol.2 嘉藤 修
世界展開に向けて歩みはじめた株式会社浅野のモノづくり。2010年夏の『上海国際自動車産業総合展』出展を皮切りに、今後、国際展開の加速が期待される。国内では世界初のモノづくりに挑むマイスター達が、お客様の期待に応えようと日夜奮闘している。そのひとりが嘉藤 修、勤続20年目のベテランだ。シャイな笑顔を覗かせる嘉藤の表情に隠された、飽くなきモノづくりの情熱を紹介しよう。
世界初を作り続ける仕事
世にないモノづくりの途を切り開く
バブルの余韻が残る91年3月、嘉藤は浅野に入社した。当時、試作業界では新幹線300系*1の先行試作車が最高時速325.7km/hを達成。経済の先行きが見えない中、ニッポンのモノづくりは引き続き世界の関心を集めるそんな時代であった。
入社のきっかけもモノづくりの魅力に魅せられたからであった。浅野の門を叩いたのも、父親の背中と小さい頃の夢を無意識に追っていたのかもしれない。
物心ついたときから、家の隣にある建築工場で、鉄骨部品の製作に励む父を見て育った経験。エンジンのシリンダーヘッドに輝く光や、ピストンの動きに合わせてクランクケース内のシャフトが回る姿に心が惹かれた幼少期の記憶。「今でもスケルトンタイプの機械式時計を見るとワクワクするんです」と、はにかみながら話すその表情に、今なお少年の心を失わない嘉藤の人柄がにじみ出る。
進学先に地元の工業高校を選択したのも自然な成り行きだった。モノづくりの面白さにますます魅了された高校時代。旋盤を使った金属の切削、マシニングセンタ*2やCNC旋盤*3によるプログラミング、CAD*4による製品や部品の図面設計とむさぼる様に新しい知識を吸収していった。
そんな嘉藤も就職という人生の岐路を迎える。当時はいろいろな会社から好条件でのオファーがあった。中には誰もが知る自動車や電気業界の大手一部上場企業も含まれる。「周りは安定、給料や休みといった条件で会社を選ぶ、大企業志向のヒトが多かったように思います。でも…」と浅野の成長を振り返りながら選択した道が正しかったと語る嘉藤の目が遠くを見つめている。「私は世の中にない新しいモノを作り上げる試作のフィールドで挑戦してみたかったのです。」と楽しげに話す。
実は嘉藤と浅野社長は高校で同窓になる。世界初のモノづくりを楽しむ浅野社長の存在が入社の決断を後押ししたことは想像に難くない。嘉藤の入社以来、浅野は試作のフィールドで躍進を遂げる。入社当時50名足らずの会社が今では300人を超える。今後、海外の試作フィールドにおける世界初のモノづくりの途が視野に入ってきた。