ASANO PRIDE AS A CRAFTSMAN VOL.2 : OSAMU KATOUVol.2 嘉藤 修
世界展開に向けて歩みはじめた株式会社浅野のモノづくり。2010年夏の『上海国際自動車産業総合展』出展を皮切りに、今後、国際展開の加速が期待される。国内では世界初のモノづくりに挑むマイスター達が、お客様の期待に応えようと日夜奮闘している。そのひとりが嘉藤 修、勤続20年目のベテランだ。シャイな笑顔を覗かせる嘉藤の表情に隠された、飽くなきモノづくりの情熱を紹介しよう。
職人「技」におぼれない
その意気込みと仕組みが浅野にある
浅野に入社以来、嘉藤はわき目も振らずに仕事に没頭してきた。「オフタイムは?」と聞かれてもオンとオフの区別すらつかない、そんな新入社員時代だったと嘉藤は振り返る。毎日残業は当たり前、休日も仕事のことを考えた。
当時も今と変わらず車の試作部品づくりが多かった。といっても最初は片づけが中心で、重要な仕事はなかなか回ってこない。しかもコンディションのいい設備や工具は優先的に上司に回される。そこでまずは使われなくなった切れない工具の刃を研いで、設計図の計算通りに切れるように、来る日に向けて腕を磨いた。
「今思うといい経験になりました。」と語る嘉藤の拳に力が入る。その手は大きく、そして厚い。そこには自らの手でモノを作り上げてきた自信が満ち溢れている。「今と違って昔は手作業や裏方仕事が多かったので、モノづくりの原理・原則を身体で覚えることができました。息をするのと同じように、自分の手のひらを通して自然と皮膚感覚でうまく仕上げることができましたし、上手くいかないときもその理由が肌でつかめたからです。」と穏やかに語る。
入社時は、ワイヤーカットチームでワイヤ放電加工機*5を使って亜鉛合金などの金属を加工して、ブラケット*6や銅板端子台*7などの金型を製作していた。いずれも今の電気自動車に欠かせない部品になっており、その意味でもいい経験になったと嘉藤は話す。
やがて図面を渡されてから、最終的な金型完成までをひとりでこなすようになってからも、嘉藤の謙虚な姿勢は変わらない。その姿勢は今も嘉藤のみならず会社全体ににじみ出ている。嘉藤にその得意技を尋ねたときの「この仕事は自分ひとりの力じゃないんです。」という一言がすべてを物語る。
量産品でなく、いつも世界初の試作品を手掛ける浅野。そこでは常に模索を続け、なんとかお客様の期待に応えようとする取り組みを通じて、自ら期待値を上げていく姿勢が欠かせない。そんな上司の背中を見て育った嘉藤にとって、たとえプレスが得意であったとしても、そんなことは口がさけても言えない。
そんなマイスターの矜持を覗かせる嘉藤だが、当時はお客様に怒られたこともあったと記憶をたぐり寄せながら語った。最後はなんとか期待に応え、今となってはその思い出話に花を咲かせていると話す。続けて呟いた「得意技はないけどガッツでは負けない」の一言に、職人技にうぬぼれずに常に先を見据えて前進を続ける嘉藤の意気込みが感じられる。
浅野に足を一歩踏み入れて気づくことがある。壁面にびっしりと貼られた小改善活動実施用紙だ。APS(浅野プロダクションシステム)と呼ばれるそれは、生産性向上に向けた改善活動の一環である。メーカーとして当たり前の改善活動であるが、浅野の場合はそれだけで終わらない。この改善活動を通した生産性向上の成果は、時間当り付加価値、部門別採算の向上に直結している。
これは、アメーバ経営*8と呼ばれる経営システムである。浅野では、各部門が独立採算で収益に責任を持つので、社員が経営者感覚で仕事に取り組む風土がある。いい意味で職人技におぼれずに常に時間とコストを確認しながら仕事を進める風土があると嘉藤は考える。実際、技術者レベルでも設備導入にあたり、各社から見積もりをとって最適な設備を購入する。職人としての矜持を大切にしながら、アメーバ経営で時間とコストをしっかりコントロールする、そんなアメーバ経営と職人技の良さの融合が浅野スタイルの良さといえる。