ASANO PRIDE AS A CRAFTSMAN VOL.2 : OSAMU KATOUVol.2 嘉藤 修
世界展開に向けて歩みはじめた株式会社浅野のモノづくり。2010年夏の『上海国際自動車産業総合展』出展を皮切りに、今後、国際展開の加速が期待される。国内では世界初のモノづくりに挑むマイスター達が、お客様の期待に応えようと日夜奮闘している。そのひとりが嘉藤 修、勤続20年目のベテランだ。シャイな笑顔を覗かせる嘉藤の表情に隠された、飽くなきモノづくりの情熱を紹介しよう。
No.2ではダメなんです
モットーは顧客の期待に100%応えるコト
仕事の得意技は「ガッツ」と語る嘉藤は高校時代、柔道部で黒帯を締めていた。得意技は背負い投げ。「 一本背負い」で有名な投げ技である。体格に恵まれた選手の中にあって、互角に戦えたのはこの「柔よく剛を制す」得意技で試合に臨んでいたからに違いない。
そんな嘉藤には印象に残る仕事があった。事業仕分けの場で「2位じゃだめなんでしょうか?世界一になる理由は何でしょうか?」で一躍有名になったスーパーコンピューター*9の正面フレームの製作だ。一般的に使用されるサーバー機より千倍以上の演算性能を誇るこのモンスターマシンのフレーム製作には、高度な技術が求められる。このプロジェクトを乗り切るための豊富な経験は、CATIA(キャティア)*10の仕事を通して積んでいた。
入社から時を経て異動したこの「CATIAマシニンググループ」で大きく成長することが出来たと嘉藤は語る。これまで型を製作するときに、職人の手が欠かせなかった。図面を見ながらヤスリを手にして木型にきれいな面を作って、型を製作*11していた。
ところがCATIAを使うことで、型をパソコンでプログラミングし、マシニングセンターに金属を乗せて直接加工できるようになった。
このCATIA、嘉藤が入社する一年前から、後の上司が技術をマスターするため自動車メーカーの技術研究所に一年間ゲストエンジニアとして出向いた。なにせフランス製で新しいソフト、一年間では体得しきれない。結局、上司とともに嘉藤もゼロから辞書を片手に慣れない英語のマニュアルを読み込んで、右往左往しながら技術を磨いていった。
以前、浦和にあった浅野のCATIA専門会社「真実」には、手伝いによく足を運んだ。例えば光造形*12技術を使って、自動車の外板(ボディ)やヘッドライトの3Dデータを実際の形に成形したり、設計上の強度解析や、プレス金型設計、そして自動車の排気を覆うカバーのデザイン等、CATIAで出来るあらゆることを探った。こうしたデータは本社に転送され、実際のモノづくりに活用された。そんな経験を積み重ねるなかでCATIAによるモデリングのセンスを向上させ、気づけば受注増という成果となって現れた。
職人が手仕事でやってきたことを高度化させる歴史だったと嘉藤は振り返る。嘉藤のキャリアはモデリング中心で、プレスや溶接は他の者に任せてきた。時代の流れだろう。昔はいろいろな技術を経験することで一人前と言われたが、技術・設備が高度化するなかで、現在は専門性を極めてプロとして認められる。
スーパーコンピューターの一件も、嘉藤が生来もつガッツとこれまでの経験を活かした集大成であった。顧客の期待に100%応えるために、No.2ではなくオンリーワンを目指す嘉藤の姿勢にお取引先からの評価も高い。
また人間並みの大きさの門型マシニングを導入したときは、全てをひとりでマニュアルを睨みながら格闘した。これも浅野流の人材育成術だ。仕事を受注してから、未知の設備を導入して若手に任せることで、結果として将来の浅野を担うマイスターに育っていく。800トンのプレス機を導入したときもそうだったと嘉藤は語る。
モータースポーツとその部品に興味があって浅野の扉をたたいた嘉藤の夢は、「試作のときに声をかけていただいて、量産体制への架け橋になることで、お客様に喜ばれたいんです。」とどこまでも驕らない。そして夢は加速する。 「一台の自動車をオール浅野で完成できれば・・・。」と。
「個人の夢は?」の問いには、「日本一周」と答えた嘉藤。謙虚な嘉藤に、浅野の実直な社風がにじみ出る。