ASANO PRIDE AS A CRAFTSMAN VOL.4 : SHIGERU IMAIVol.4 今井 滋

2010年春、家族と初めて行った中国旅行。その秋、異動の内示を受ける。「今井 滋 殿、2011年、中国赴任を命ずる」想像もしなかった中国での仕事に不思議な縁を感じた。浅野初の中国事業立ち上げに、今井を含めた5人のサムライが、いざ出陣する。

中国の土を踏む
日本人と中国人、役員と部下の架け橋になってみせる
浅野樹脂事業部SERAになって、自動車関連の仕事も新たに始まった。2010年、浅野は中国進出を決定する。中国で電子・自動車部品を製造する中興精密技術有限公司*5をパートナーに迎え、「中駿浅野精密技術有限公司」を設立。中国における自動車その他樹脂成形部品の製造を目指す。
先陣を切るのが、浅野樹脂事業部SERAの中核メンバー5人だ。上は60代から下は30代まで、樹脂事業部SERAのオールスターメンバーで挑む。浅野にとっても初の海外進出で否が応にも期待が高まるなか、当の今井は関西人らしく「2年から3年、中国に語学留学に行ってきますわ。」と屈託なく笑う。
上海万博で盛り上がる最中、予備調査で2週間、中国の土を踏んだ。中国へはその年の春にも一度、観光で北京を訪れている。深セン、東莞、広州、杭州、上海と駆け足で金型工場を見学した。「中国の印象は?」の問いに、「埃っぽいですね。」と笑って答える。一つは大陸の砂が偏西風にのって運ばれてくるのであろう。加えて成長著しい中国では、車の台数が劇的に増えて、排気ガスが急増していることも関係しているようだ。車道一杯に自転車が走る光景が印象的だった中国も、ここ最近は自動車一色らしい。今井が面白いコトを言う。「中国では交差点を外して、信号のないところを渡った方が安全です。運転マナーが良くないので、交差点の右折、左折時に車が歩行者を巻き込む事故が多いのです。」。
中国では夜のお付き合いを欠かさなかった。飲みニケーションである。強いほうではないが、杯に溢れるくらいに注がれたお酒を飲み干していると、現地メンバーが喜んでくれた。中国では教える側が、杯を受ける慣わしだ。「これからは肝臓がいくつあっても足りませんね。」と今井が微笑む。
駐在予定の東莞は、中国南部にある広東省中部に位置する。中国が改革開放政策をとった80年代以降、国内外から多くの企業が進出し、一大工業地帯に変貌を遂げた。小さな部品会社も数多く立ち並び、車のクラクションが鳴り響くなか、無数のバイクが縦横無尽に走り回る活気ある街だ。
単身赴任なので、困るのが食事だ。近くに日本料理店もあるという。でも敢えて現地の食堂に通いたいという。「お金を払えば食事に困りません。日本料理店でも800円から900円程度でしょう。物価が日本の3分の1の中国人から見ると、それも随分贅沢な話です。現地の人とチームワークを築くためにも、現地の物価感覚で暮らしを楽しんでみたいと思います。」と謙虚に語る。そう思うのも、徒弟関係にも近い濃密なコミュニケーションを通してしか、金型の技術を伝承できないからだ。異国の地で異なる言葉を話すもの同士、お互いに理解するためには、むしろ今井自身が腹を割って、中国人の懐に飛び込んでいかなければならないという配慮だろう。一般の組立作業と異なり、金型の製作は流れ作業でできないのだ。日本でもマスターするのに最低1~2年かかる製造ノウハウを中国人に伝えるのに、コミュニケーションが課題であることを、よく認識している。
昨年11月から、中国語の勉強も始めた。大事な話は通訳経由としても、「出来る限り現地の言葉でコミュニケーションを取ること」、「現地の人と仲良くなること」、これが当面の目標である。中国語は発音とイントネーションが難しい。これまで11回、22時間程度、中国人の先生に直接教わった。日本人にお馴染みの「謝謝(ありがとう)」も、シェーシェーと発音するとき、語尾のイントネーションを変えるだけで違う意味になるという。巻き舌で発音するのと、普通に発音をするのでは、やはり意味も文字も異なるらしい。やっかいなことに同じ文字でも多様な意味を持っている。学習している北京語と現地で使う広東語もやはり違う。一筋縄でいかない中国語と、これから長いお付き合いになりそうだ。
新たな挑戦を前にして山登りで英気を養うのが、目下の楽しみである。近くは比叡山から、果ては富士山まで同僚と登った。体力をつける為に、仕事中もパワーアンクル*6を身につけている。2~3年前は仕事に追われて休みもなかったので、今は日本でやり残したことを精一杯楽しんでいる。登山のことを現地で話したところ、早速ハイキングに誘われた。これも今井の人徳であろう。この調子だと現地の生活に慣れて、現地スタッフと仲良くなるのも時間の問題だ。
一方、中国と日本、現場と経営のバランスを取ることも今井の役回りである。日本と勝手が異なる中、収益をあげていく上で、会社と自分で上手くウィンウィンの関係*7を築いていきたいと今井は考えている。その為にもまずは現地スタッフと信頼関係を築きたい。子供の手が離れた今井はまた、単身赴任する若手の同僚をリードし、そして役員との架け橋になることを肝に命じている。今年57歳を迎える中で、新たな挑戦に挑む今井の目が、少年のように輝いている。