PROJECT.H VOL.1 : YASUHIKO SASAKIVol.1 佐々木 保彦
岩手の海沿いの町で育ち、F1を夢見た佐々木。
想いが叶い、レーシング活動に10年携わった。その後、(株)浅野で7年、溶接一筋でキャリアを積む。
「技術の見える化」プロジェクトのF1カーのスケールモデル製作ではフィニッシャーとして
レーシングカーと溶接の経験を結実させる。佐々木の夢を叶えるこだわりのモノづくりを紹介しよう。
F1を夢見て
親の反対と募る想い
釜石といえば近代製鉄業発祥の地として知られる。日本有数の漁場である三陸沖と美しいリアス式海岸でも有名だ。佐々木が生まれ育った場所である。少年時代から工作が好きだった。牛乳パック、たまごパックといった身近な材料でモノづくりに勤しんだ。当時から図面を見ずに作りながら考えていくのが佐々木のモノづくりの流儀であった。
釜石では佐々木が中学生になって初めてフジテレビの放送が始まった。目当てはF1レースの実況中継であった。アイルトン・セナ*1が全盛期で、中嶋悟*2が引退を迎える頃の話だ。多感な少年が影響を受けない筈はない。F1を夢見た少年は、レーサーよりピットでコンマ1秒を競いタイヤ交換に奔走するメカニックになる志を胸に秘めた。
高校進学を迎える頃、生来のモノづくりの夢、そしてF1メカニックへの憧れが募り、工業高校への途を模索したが親の説得で断念した。親が苦労した分、「息子には普通科の高校から大学に進学して欲しい」という親の気持ちにさすがの佐々木も当時は頷かざるを得なかった。
進学したものの行動派の佐々木は気持ちが抑えきれられず、テストで目標点数を獲ることを条件に、学校で禁止されていたアルバイトの許しを先生に請うた。実際、自動車整備工場にアルバイトの応募をしたものの、先方に丁重に断られ、それがまたF1メカニックへの夢をますます募らせた。夢に一歩近づいたのは高校卒業後のことであった。