PROJECT.H VOL.1 : YASUHIKO SASAKIVol.1 佐々木 保彦
岩手の海沿いの町で育ち、F1を夢見た佐々木。
想いが叶い、レーシング活動に10年携わった。その後、(株)浅野で7年、溶接一筋でキャリアを積む。
「技術の見える化」プロジェクトのF1カーのスケールモデル製作ではフィニッシャーとして
レーシングカーと溶接の経験を結実させる。佐々木の夢を叶えるこだわりのモノづくりを紹介しよう。
夢を叶える
自動車レースを仕事に選ぶ
反対する親を説得し、四輪自動車レースのメカニック養成で知られる専門学校の扉を叩いた。上京した佐々木に一番嬉しかったのは同じ志で共通の話題を持てる同級生の存在であった。岩手では自動車レースの話をすることさえ出来なかった。同級生は一方でライバルとして切磋琢磨せざるを得ない環境でもあった。自動車科や工業科を出て、カートレースの経験者も多い中で、普通科出身の佐々木は、その違いに圧倒された。2年生のときにサーキットではじめてF1観戦することで、将来の途を真剣に考え始めた。「自動車レース」を仕事にすべきか、趣味にとどめておくべきか悩む中で、背中を押したのは学校の先生の一言だった。「挑戦してみろ!」。
時は1998年、就職氷河期で就職活動が大変厳しい中、その言葉を胸に筑波にあるレーシング会社の内定を勝ち取った。F3~F4*3を中心にした独立系レーシング会社に整備補助として入社した。掃除、タイヤの付け替え、計測といった下積みを経て、1年目から早くも実戦に携わった。はじめてのレースはフジテレビの放送で夢見た鈴鹿サーキットであった。
実戦を早くから経験した分、大失敗をしたこともある。言われたとおりに交換したアクセルワイヤーが走行中に切れたのだ。ドライバーからよくレースに掛ける思いを聞かされていた佐々木にはその勝負とコストの行方に背筋も凍る想いだったに違いない。
アマチュア、プロ問わず未来のF1レーサーを目指す人が集う中、車両整備担当の佐々木は経験を積み重ね、事前調整、部品交換に加えてドライバーにレースの組み立てまでアドバイスをし、さながら影のレース監督のようであった。佐々木のアドバイスでシリーズ優勝した選手はFJ、F4ともに数知れず、そんな生活を29歳になるまで10年間続けた。